東京高等裁判所 昭和54年(行ケ)142号 判決
一 原告主張の請求の原因及び主張の一ないし四は、当事者間に争いがない。
そこで、本件審決にこれを取消すべき違法の事由があるかどうかについて考える。
二 原告は、本件補正によつて、事実摘示第二、二、(一)に記載の補正前の発明の特許請求の範囲1を削除するとともに、同2中「……ある吸引口を」の記載を「……あつて、該スプレーガン側にある、その先端が該板状ガラスの面からより遠い位置に伸びる壁と該スプレーガンに対し遠い側にあるその先端が該板状ガラスの面からより近い位置まで伸びる壁とによつて形成される吸引口を」と補正しようとするものである。
ところで、補正前の発明が引用例(成立について争いのない甲第七号証)に記載されていることは、審決(成立について争いのない甲第一号証)のいうとおりであると認められ、原告もその点については特に争つていない。しかして、成立について争いのない乙第一号証(審判請求理由補充書)によれば、原告は引用例と補正後の発明の相違点を専ら前記補正によつて特定した吸引口の形状にあるものとし、そこに補正後の発明の新規性があるものとしているものであることが認められる。そして、補正前の発明の明細書(成立について争いのない甲第四号証)によれば、補正前の発明は、被告主張のとおり、形成されたガラス板に、洗浄、切断等の必要な加工処理を行なつた後に金属酸化物の被膜を形成していた従来技術の種々の欠点を改良する目的でなされたもので、それは、溶融ガラスから連続的に形成されるガラス板を冷却しながら約四〇〇℃以上の点で金属塩溶液をスプレーすること、金属塩がガラス板面上で金属酸化物を形成する際に発生する廃ガスをガラス面近傍から除去すること及びそのガラスを更に冷却窯に送り冷却することを要旨とする技術的思想であつたことが認められるところ、本件補正により右のことは前提技術になり、補正後の発明は補正前の発明の装置の廃ガス吸引口の形状を限定して、公知の形状の吸引口に比して廃ガスの吸収及び板ガラスへの金属塩溶液の接着の良好な効果を得ようとする点に技術思想が変更されたものというべきであり、右補正は、特許法第六四条、第一二六条第二項にいう実質上特許請求の範囲を変更するものであつて許されないものといわねばならない。
三 原告は、補正後の発明も、補正前の発明も、板状ガラスを徐冷のために移送しながら、その段階で金属酸化物被膜を作り、かつ廃ガスを板状ガラスの近傍から吸引除去することによつて、ヘイズのない緻密な金属酸化物被膜を作るという点において技術的思想を同じくするものであるから、本件補正は特許請求の範囲を実質上変更するものではないと主張する。
しかしながら、本件補正によつて、原告の主張するような技術的思想は、補正後の発明の単なる前提となり、補正後の発明は、効果的に廃ガスを板状ガラスの近傍から吸引除去しヘイズのない緻密な金属酸化物被膜を得るには吸引口の形状をいかにすべきかという点を解決することに技術思想が移つてきたというべきであり、本件補正は特許請求の範囲を実質上変更するものというべきである。
四 原告は、本件補正によつて限定した吸引口の形状は、補正前の発明の図面の第一図及び第三図に示されており、吸引口をそのような形状にしたことによる効果は、当業者であれば当然に予想し得ることであり、右補正は特許請求の範囲の減縮に相当し、許されるべきであるとの趣旨を主張する。
特許法第四一条は、「出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達前に、願書に最初に添附した明細書又は図面に記載した事項の範囲内において特許請求の範囲を増加し減少し又は変更する補正は、明細書の要旨を変更しないものとみなす。」と規定しており、本件補正により、原告が特許請求の範囲を変更しようとするガス吸引口の形状は、原告主張のとおり補正前の発明の図面に記載されているから、右補正は、出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達前ならば、明細書の要旨を変更しないものとみなされて、許されるということになるけれども、本件補正前の発明は既に出願公告決定の謄本が送達され、出願公告されているのであるから、吸引口の形状が図面に記載してあるという理由のみでは、その特許請求の範囲の増加、減少、変更は、明細書の要旨を変更しないものということはできない。しかして、本件補正は、特許請求の範囲を減縮するものではあつても、実質上特許請求の範囲を変更するものであること前説明のとおりであるから、原告の主張は理由がない。
五 以上のとおりであつて、本件補正を却下した補正却下の決定に違法の点はなく、本件発明の要旨を補正前の発明の明細書の特許請求の範囲のとおりとし、右発明は引用例に記載されているから特許を受けられないとした審決にも違法の点はないから、その取消を求める原告の請求を棄却する。
〔編註〕 本件における特許請求の範囲は左のとおりである。
(一) 補正前の発明の特許請求の範囲
1 徐冷窯に移送されつつある板状ガラスの温度が四〇〇℃以上のところで、該板状ガラスの面に金属塩溶液をスプレーすること、スプレーされた該金属塩溶液がそれが該板状ガラスの面上で金属酸化物被膜を形成するときに熱分解する際に発生する廃ガスを該板状ガラスの面の近傍から除去すること及び該金属酸化物被膜を形成せしめられた板状ガラスを更に徐冷窯中を進行せしめることを特徴とする金属酸化物被膜を有する板状ガラスの製造方法。
2 板状ガラスを移送する装置と、該移送装置によつて移送されつつある該板状ガラスの徐冷温度域を覆う徐冷窯と、該板状ガラスの温度が四〇〇℃以上のところで該板状ガラスの面に向つて、該板状ガラスの面に沿つて、その進行方向を横切る方向に走行又は揺蕩するスプレーガンと、該スプレーガンに金属塩溶液を供給し、且つ金属塩溶液をスプレーガンから噴出せしめる手段と、該スプレーガンの走行又は揺蕩の経路の両側近傍にあつて且つ金属塩溶液をスプレーされる該板状ガラスの面の近くにある吸引口を通じて、スプレーされた該金属塩溶液の廃ガスを該板状ガラスの近傍から吸引除去する排気装置とを有する金属酸化物被膜を有する板状ガラスの製造装置。
(二) 補正後の発明の特許請求の範囲
板状ガラスを移送する装置と、該移送装置によつて移送されつつある該板状ガラスの徐冷温度域を覆う徐冷窯と、該板状ガラスの温度が四〇〇℃以上のところで、該板状ガラスの面に向つて、該板状ガラスの面に沿つて、その進行方向を横切る方向に走行又は揺蕩するスプレーガンと、該スプレーガンに金属塩溶液を供給し、且つ金属塩溶液をスプレーガンから噴出せしめる手段と、該スプレーガンの走行又は揺蕩の経路の両側近傍にあり、且つ金属塩溶液をスプレーされる該板状ガラスの面の近くにあつて、該スプレーガン側にある、その先端が該板状ガラスの面からより遠い位置に伸びる壁と該スプレーガンに対し遠い側にある、その先端が該板状ガラスの面からより近い位置まで伸びる壁とによつて形成される吸引口を通じて、スプレーされた該金属塩溶液の廃ガスを該板状ガラスの近傍から吸引除去する排気装置とを有する金属酸化物被膜を有する板状ガラスの製造装置。